【文化雑感】伊丹映画再発見!

2015年1月号より

 

 伊丹十三―。読者はこの人物をご存じだろうか。1980〜90年代に活躍した映画監督である。伊丹は84年に葬儀を急に執り行うことになった家族の様子をユーモラスに描いた「お葬式」で監督デビューする。

 

87年には「マルサの女」で国税局査察部と脱税者の攻防を描き、92年「ミンボーの女」では民事介入暴力の問題を取り扱った。他にも医療・食品偽装・カルト宗教と一般の人々が知り得ない世界を、ジャーナリスティックな視点で映画化した。

 伊丹映画の視点は、伊丹の父で映画監督であった伊丹万作の影響もあるのかもしれない。万作は46年の「戦争責任者の問題」という文章の中で、太平洋戦争の戦争責任が一部の戦争責任者にのみあり、国民はだまされていた、とする風潮を批判し、だまされた国民にも責任があると指摘した。

 

 万作は「だまされたものの罪は、(中略)あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」と書いている。

 一連の伊丹映画は、人々に、だます側の手の内を次々と明かし、だまされない知性を養ってほしいという思いもあったのかもしれない。

 また、伊丹映画はシリアスなテーマでありながら、それを完璧な娯楽映画として仕上げている点も魅力の一つだ。とにかく映画の最初から最後まで面白い。これは、膨大な映画の教養を持つ伊丹にのみなせる業だろう。

 伊丹は97年、64歳で逝った。今、伊丹が生きていれば、この混迷する現代社会をどのような視点で切り取り、どんな映画を撮るのだろうか。その早すぎる死が悔やまれてならない。 (福井優)