【文化雑感】白川静先生と東洋

2015年5月号より

 

 「三千歳の青年」。ある中国文学者が、老いてなお休むことなく、研究に情熱を注ぐ立命館大名誉教授、白川静先生をこう賛している。

 昨年度、特集「白川静を学ぶ」のために白川先生にゆかりのある方々を取材したり、その著作を読んだりした。取材したどの方々にも共通する白川評の一つが「ユーモアのある方だったが、一方で学問への態度は厳しかった」というものだった。

 

 芳村弘道立命館大教授は、白川先生は、風邪をひいて体調が優れない日も講義を休むことをせず、自宅に学生を招いて教えることもあった、と思い出を語ってくれた。

 白川先生は、なぜ学問に対する情熱を持ち続け、研究に没頭したのか。白川先生の研究は、ただ漢字の字源研究が最終目的ではなかった。漢字の字源研究を通して、中国古代の思想・文化を解明し、かつて東アジアに、漢字・漢文を媒介に存在した共通の価値観である「東洋」の原初的精神を明らかにし、復活させることが最終目的だった。

 現在、グローバル化により英語の重要性が叫ばれる中、漢字や漢文の教養は、ますます軽視される傾向にある。また東アジアの国々の政治的関係は決して良好ではない。

 白川先生が追い求めた理想は、幻だったのか。しかし、白川先生は「東洋がかつて存在していたことは、歴史的にも厳然たる事実である。歴史的な事実である以上、それは必ず歴史的に回復する機会をもつであろう」(『回思九十年』平凡社ライブラリー)と書いている。

 私たちが今一度、漢字・漢文を見つめ直し東洋を認識することが、ひいては中国・韓国などの国々との共通する価値観を見いだすことになり、文化的紐帯を得る契機につながるのではないか。

 現代社会を考える上でも、白川先生の学問の意義は大きい。 (福井優)