【連載 ロヒンギャへの道 第16回】「あの日の記憶ー青年の証言―」

あらすじ

「ミャンマーで何が発生しているのか。ロヒンギャ報道の向こう側にいきたい」

 その思いからバスに飛び乗り、2018年3月にラカイン州の州都・シットウェにやってきた。2012年に発生したラカイン族とロヒンギャとの衝突以後(第11回 真実を求めて)、街中では約4000人のロヒンギャが隔離され、10万人を超えるロヒンギャが郊外の国内避難民(Internally Displaced People)キャンプに追われていた。IDPキャンプはシットウェの街中から、北におよそ4キロの所にあった。途方に暮れるくらい広い荒原で、海風が吹きつけ土壌は乾燥していた。

 

「第9回 収容所のある街から」―シットウェで発生していること

「第10回 柵の中の生活―シットウェから―」―街中で隔離されたロヒンギャの生活

「第11回 真実を求めて」―2012年に何が起こったのかの検証

「第12回 貧困と民族問題」―貧困からロヒンギャ問題を考える

「第13回 ラカイン族の求め―複雑な情勢―」―ラカイン人とビルマ人の対立を考える

「第14回 国内避難民として生きる人々」―10万人を超えるロヒンギャの暮らす国内避難民キャンプから

「第15回 キャンプの中の生活―シットウェから―」―国内避難民キャンプで暮らすロヒンギャの生活

 IDPキャンプが形成される原因となったのは、2012年にラカイン州で発生したロヒンギャとラカイン族との衝突だった。衝突の際、シットウェに住んでいたロヒンギャの身に何が起こったのか。ロヒンギャの青年(25)が匿名と取材場所であるモスクの写真を撮らないことを条件に取材に応じた。

シットウェ大学の
シットウェ大学の

―当時はどのような状況でしたか

 ダウンタウンにある高校レベルの学校を卒業しました。2012年以前は仏教徒とも家族のように暮らしていて、パーティーを開けば彼ら(仏教徒)も来ました。その頃、ロヒンギャはヤンゴンなどラカイン州外の大学には入れないけれど、シットウェ大学には行くことができました。

―あなたも大学に

 2012年以後、ロヒンギャは大学に入ることができなくなりました。だから友人たちは外国に逃れました。多くはマレーシアに、それからタイやサウジアラビアにも。

 2012年5月にロヒンギャによる仏教徒女性へのレイプ事件が発生し、報復としてロヒンギャへの迫害が起こったとされている。6月にはロヒンギャの乗るバスが襲撃され10人が死亡した。復讐の余波はラカイン州の州都であるシットウェにまで広がった。

襲撃の際に破壊されたモスク
襲撃の際に破壊されたモスク

―あなたの身に何が発生しましたか―

シットウェの市街地に住んでいましたが、順番に立ち退きを迫られ、火炎瓶で家を燃やされました。私は生き残っただけラッキーでした。燃える家から逃れることができず死んだ人もいました。私の家も燃やされ、髪が焼けました。襲撃後、警察が来たので「私たちの地域が燃やされている」と伝えると、「ここは危険だから郊外に行った方がよい。1,2日後には簡単に戻ることができる」と伝えられました。でも帰ることはできず、今でもここ(IDPキャンプ)に暮らしています。レイプ事件は嘘です。彼ら(仏教徒)の真意は、ロヒンギャが街中に住んでほしくないということです。詳しいことは分からないけれど、何らかの計画に沿って、襲撃が実行されたのだと思います。

シットウェにあるローカナンダ・パゴダ
シットウェにあるローカナンダ・パゴダ

―市街地に帰りたいですか―

 僕だけでなく、みんな住んでいた所に帰りたい。もし帰ることができれば政府に感謝します。

―今の暮らしは―

 NGOで働いて、家族を養っています。フランスに本部を置く団体です。団体名は公にしないでください。スタッフのほとんどは仏教徒です。高い地位には仏教徒が座り、ロヒンギャは低い地位で働いています。ヘッドクォーターはフランス人です。IDPキャンプに暮らすロヒンギャは日雇い労働に従事したり、農作物を育てたりして食いつないでいます。

―仏教徒を憎みますか―

 「仏教徒は良い」とか「仏教徒はだめ」とは言いたくないです。宗教ではなく性格に起因すること。全ての宗教は良いものです。

写真は200チャット
写真は200チャット

 45分に及ぶインタビューの後に謝礼を求められた。5000チャット札(350円ほど)を手渡すと「少ない」と不満を漏らされた。「いくら欲しいの」と尋ねると、「100ドル」と言うのでスカスカの財布を見せた。男性は苦笑いで、10000チャット札を手にとった。

 街中に住むおよそ4000人のロヒンギャは、金属柵と長銃で外部との接触を断たれていた。郊外に強制移住させられた10万人を超えるロヒンギャは、荒廃した土地でNGOなどの支援を受けながら命を繋いでいた。ロヒンギャの現状を目撃した私は率直に「こんなのおかしい」と感じた。体制が隔離政策を固定化したことで、異常が日常へと転化していた。

「人々の良心は蹂躙されたのだろうか」

 同世代の、それも教育を受けた学生がロヒンギャへの露骨な人権侵害をどう考えているのか知りたかった。私は、シットウェに住むラカイン人学生に聞き取りを行った。ミャンマーの高等教育機関は全て国立で、ラカイン州内には5つある。

構内で大学生に話を聞いていると、警備員に追い出された
構内で大学生に話を聞いていると、警備員に追い出された

 その中でもシットウェ大学は、郊外のIDPキャンプに挟まれるように位置していて、学生はロヒンギャの生活を横目に三輪タクシーで通学していた。この大学の構内で複数の学生と連絡先を交換し、直接ないしはを通して話を聞いた。ある20歳の男子大学生に「ロヒンギャが、君の大学に入れないことをどう思う?」と尋ねると、「彼ら(ロヒンギャ)は危険だから仕方が無いと思うよ」と返答された。また19歳の大学生からは、ロヒンギャの話題を持ち出した瞬間に「OK、BYE」とブロックされた。

ブロックされたMessangerのホーム画面。大学生の間に懸隔を感じた
ブロックされたMessangerのホーム画面。大学生の間に懸隔を感じた

 シットウェではロヒンギャの話題はタブーである。その危険性から口をつぐんだ学生もいたかもしれない。しかし、ロヒンギャ問題を他人化する姿に釈然としない、胸の疼きを覚えた。(鶴)