50年前、ある女性が成人の日の誓いを日記に綴った。
「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」
半年後の1969年6月24日未明、女性は鉄道自殺を図った。学生運動の風が吹き荒れた時代に、青春や恋愛の狭間で悩み苦しんだ末の行動だった
「涙」は悲しい言葉か。はたまた喜びの言葉か。人それぞれ解釈が異なるだろう。「涙の数だけ強くなれるよ」などと歌う前向きな歌もあるが、どちらかというと涙を流すことには後ろめたさがある。
読者の皆さま、あけましておめでとうございます。
平成最後の元日に、ご挨拶と代えまして本紙の歴史を振り返る記事を配信いたします。昨年10・11月合併号に掲載したところご好評をいただきましたので、追加調査を基に加筆いたしました。長文ですが、本紙80周年の意気込みとして、一読いただければ幸いです。今後とも本紙のご愛読をよろしくお願いいたします。
【2018年10・11月号紙面より特別編集】
本紙の上の方、余白に「○○号」との記載がある。これは新聞が創刊以来何号発行されているかを示すもので「紙齢」という。普通1つのはずなのだが、本紙には2種類ある。これに疑問を感じて、卒業を目前に控えた筆者は図書館に足繁く通った。恥ずかしながら、本紙の歴史は内々でも知られていなかったのである。2つの紙齢を手がかりに、本紙の歴史を紐解いていきたい。
東南アジア屈指の大都市・バンコク。 三島由紀夫の小説「暁の寺」に描かれたワット・アルンや古都の香りが残るアユタヤなどを目当てに年150万人以上の日本人観光客が訪れる。またビジネスなどを目的として5万人以上の日本人がバンコクに暮らしている。
バンコクは昼と夜で顔を一変させる。整然とした昼顔から混沌とした夜顔へ。ネオン輝くバンコクの夜、人々は一晩の快楽を求める。「家族を養うため」「ビジネスを始めるため」
バンコクの夜に生きる女性を追った。
11月4日に迫った4年に1度の学校法人立命館「総長選挙」。
次期総長の任期は4年で、2019年1月から2022年末まで。今回の総長選挙では「学園ビジョンR2020」の後半期計画を着実に遂行し、2030年代を見据えた新中期計画「R2030」の策定とその実行をリードする総長を選びます。まさに、今後の立命館学園の発展に大きくかかわる重要な選挙です。
そんな総長選挙に先立ち、立命館大学学友会中央常任委員会・立命館大学新聞社・立命館大学放送局(RBC)・CUESの4者が共催で、学生による総長候補者公開質問会「ReQuestion 2018」を開催します。
会場は立命館大学びわこ・くさつキャンパス(BKC)プリズムハウス1Fのプリズムホールで、11月1日(木)18:25〜19:30(18:00開場)に開催します。
イスラム教徒ロヒンギャの問題で揺れるミャンマー。政府軍などによる迫害で70万人ものロヒンギャが隣国のバングラデシュに逃れた。ミャンマー政府は国際社会からの非難によって帰還政策を打ち出したが、その道筋はいまだ不透明である。
この国で一体、何が起きているのか。
本紙記者がロヒンギャの村を取材した。
「ペンは剣よりも強し」と言う言葉を聞いたことがあるだろうか。新聞は、社会で起こった出来事や、人々の声に記者が耳を傾け、取材を通して真実を言葉にして伝えるものである。3月に立命館大学新聞社では、横浜の日本新聞博物館・東京の朝日新聞東京本社で研修を行った。そこで現役の記者の方やガイドの方の話を聞き、新聞の作られ方や、役割とは何かを学んだ。今回は新聞がどのようにしてできるのか、研修で聞いた現場の話を交えてお伝えする。
近況報告です!
3日間の日程で、横浜・東京で研修旅行に行ってきました!
日本新聞博物館や朝日新聞本社、新歓号に掲載予定の取材先などへ赴き、充実した研修をすることができました。
記事の内容に関係するので詳しくは書けませんが、今回の研修中、取材した内容などは、4月1日発行予定の「新歓号」にて掲載しますのでお楽しみに!
7月30日、立命館大学新聞社規約第十条に則り、新聞社総会を開催致しました。
これに伴い、現役員が退任し新役員人事となりましたので、お知らせいたします。主幹以下、財務局長、BKC局長、OIC局長の人事を交代いたしました。
また10月21日、同規約に定める総会用件を満たしたため総会を開催致しました。
今総会では、役員より立命館大学新聞社規約の改訂案が発議され、委任を含む満場一致で改訂案を可決いたしました。
こんにちは。眞子です。「まなご」と読みます。
テスト勉強の休憩がてら、一筆してみようかと思います。
僕も含めて、学生にとっては何かと忙しいこの時期に、今週はかなり大きなニュースが飛び込んできました。
一つは、「天皇陛下 生前退位のご意向」。個人的にはかなり驚きました。
2015年9月25日
4年に一度のラグビーW杯イングランド大会が開幕し、現地時間24日の日本代表の第2戦・スコットランド代表戦は大敗したものの、同19日に行われた南アフリカ代表との開幕戦における、日本代表の勝利は世界中で大きな衝撃を与えました。各メディアで報道されている「ハリー・ポッター」シリーズの作者、英国のJ・K・ローリング氏の「小説では書けない」発言も、「小説の中でさえ書くことがためらわれるほどに、“ありえない”出来事」という文脈で読めば、いかに日本代表が南アに勝利することが現実に起こりえないとされていたかが分かります。次回、4年後の19年のW杯は日本開催。今大会を機に、五輪やサッカーW杯のように、ラグビーW杯が注目度合いを増していくかもしれません。
大きな声では言えないが、ある筋から盗聴テープが手に入った。テープの中身は、なんと某日の政権与党の会合の様子。ここだけの話ということで、こっそり中身をお教えしよう...
2015年6・7月号より
現在の日本の言論状況は、決して高次な水準だとはいえないだろう。特にネット言論は、確かな知識に基づかない論評や感情論であふれかえっている。
では、ネットを中心とする言論の在り方はいつ始まったのか。その萌芽(ほうが)は1990年代にあった。90年代は言論活動の在り方が、大きく変質する兆しとなる出来事があった。
プロ野球開幕から3か月が過ぎ、気づけば(なぜか)阪神が辛うじて首位。交流戦でパ・リーグが強かったんですね。ただしオリックスは大変残念な「最下位独走モード」に入っていますが・・・
サッカーなでしこジャパンは日本時間2日朝、W杯の決勝戦をかけてイングランドと対決。2大会連続の4強ですので、すでに素晴らしい結果といえるかもしれません。
話は本題へ。
改正公職選挙法が参議院本会議で先月17日に成立。いよいよ18歳選挙権が早ければ、来夏の参院選から始まります。
2015年5月号より
「三千歳の青年」。ある中国文学者が、老いてなお休むことなく、研究に情熱を注ぐ立命館大名誉教授、白川静先生をこう賛している。
昨年度、特集「白川静を学ぶ」のために白川先生にゆかりのある方々を取材したり、その著作を読んだりした。取材したどの方々にも共通する白川評の一つが「ユーモアのある方だったが、一方で学問への態度は厳しかった」というものだった。
大変久々の更新となります。
さて今週末17日(日)は、大阪市を5つの区に再編する、いわゆる「大阪都構想」への賛否を同市民に問う、住民投票が同市内の各投票所で行われます。
私自身は大阪市民ではありませんので、投票権は持っていません。しかしこれまでの地方行政のあり方を大きく変える可能性のある「都構想」への賛否を問うわけですので、大変大きな関心を寄せています。
キャンパス間シャトルバスの運用制度が4月から変更され、いくつかの点が変わっています。
(詳しくはこちら)
その内でも、「見た目」が変わりました。
右の写真はOICからBKC行きの便ですが、昨年度までと違い「路線バス」になりました。
それは、学外の人でも利用できる形態になったということです。
きょうで東日本大震災・原発事故から4年。みなさんは地震発生時刻の午後2時46分を、どう過ごしたでしょうか。
震災・原発事故と向き合う上で、「事実の捉え方」を思います。
震災当時も現在も、人々は「情報」を求めています。しかし、情報は種々混合です。ウソか本当か、都合が良いか、悪いのか云々。
そんな中で、「事実」とは案外難しい概念だといえます。
きょうから2月。しかしながら、今季一番の冷え込みが各地で記録され、京都市内では積雪も観測されるなど寒さ厳しい一日となりました。
そしてきょうから立命館大の一般入試が始まりました。受験生には最後まで諦めず「合格」を手にできるよう最善を尽くしてもらえればと心から思います。
そんな本日でしたが、夜明けに大変悲しいニュースが飛び込んできました。「イスラム国」(IS)による邦人人質殺人警告事件で、解放が望まれていたフリージャーナリストの後藤健二氏が、先日の湯川遥菜氏に続き殺害されたという衝撃的な内容です。
2015年1月号より
伊丹十三―。読者はこの人物をご存じだろうか。1980〜90年代に活躍した映画監督である。伊丹は84年に葬儀を急に執り行うことになった家族の様子をユーモラスに描いた「お葬式」で監督デビューする。
87年には「マルサの女」で国税局査察部と脱税者の攻防を描き、92年「ミンボーの女」では民事介入暴力の問題を取り扱った。他にも医療・食品偽装・カルト宗教と一般の人々が知り得ない世界を、ジャーナリスティックな視点で映画化した。
伊丹映画の視点は、伊丹の父で映画監督であった伊丹万作の影響もあるのかもしれない。万作は46年の「戦争責任者の問題」という文章の中で、太平洋戦争の戦争責任が一部の戦争責任者にのみあり、国民はだまされていた、とする風潮を批判し、だまされた国民にも責任があると指摘した。
17日午前5時46分、阪神・淡路大震災から20年となりました。
早朝の神戸市、東遊園地には午前7時現在昨年の3倍近い1万4千人が訪れたとのことです(市発表)。やはり人ひとりが大人になるような「20年」という歳月を「節目」と捉えた人々が多かったようです。
しかしながら、20年前の震災は間違いなく「歴史化」しているのではないでしょうか。私自身当時0歳半で、震災当日両親らと神戸入りしていたそうですが全く記憶がありません。