10月24日に衣笠キャンパス・明学館で11月16日公開の映画「ゆるせない、逢いたい」の公開に先駆けて先行試写会が行われました。「ゆるせない、逢いたい」は10代の瑞々しい恋愛模様を描写しながらも、社会問題化している「デートレイプ」を題材に織り込み、そこからのヒロインと事件加害者の少年との“対話”を通じて「再びスタートラインに立つ」過程を描いた心に迫る作品です。
当日は主演の吉倉あおいさん、金井純一監督そして加藤伸崇プロデューサーが来校され、本紙インタビューに応じていただき、舞台挨拶や上映後の山口ゼミのゼミ生らとのディスカッションに参加されました。
2013年10月24日(木)
映画「ゆるせない、逢いたい」インタビュー@立命館大学衣笠キャンパス
ゲスト:吉倉あおいさん(主演)、金井純一さん(監督)、
加藤伸崇さん(プロデューサー)
インタビュアー:立命館大学新聞社(阪田裕介、川上奈央、大谷健太)
◎本日はお忙しい中本当にありがとうございます。まず今回の「ゆるせない、逢いたい」の見どころを伺いたいのですが、吉倉さんからみた見どころとは?
吉倉さん:事件というか「デートレイプ」がテーマになっていると思います。一番の見どころというか、映画のテーマになっているんですけど、その事件をきっかけに、はつ実ちゃんだったり、隆太朗くんだったり、お母さんだったりの成長というか変化というかそういうものを見てほしいなというのと、やっぱりそれぞれが持っている愛情をいろんな人にかけたり、いろんな人にかけてもらったりという姿をやっぱり見てほしいなと思います。
―ありがとうございます。監督はどうですか?
監督:そうですね、シーン1から順番に撮っていったっていうこともある、吉倉さんと柳楽くんとお母さん役の朝香さんの3人の演技というのは見どころだなと思っていて、あと最後の対話のシーンですかね。座って話すというところのほんとに映画というか、芝居的にはすごいシンプルだし、体も動かさないしただ座って話すというところにスタッフもキャストも力を込めてつくった映画なので、見どころとしてさいごの「対話」のシーン、ですかね。
―それではプロデューサーの加藤さんはどうですか。
加藤プロデューサー:はい。
監督:2人(吉倉さん&加藤プロデューサー)で(インタビューを)受けるのって初めてですかね?
吉倉さん:初めてなんです!違いますね、やっぱり。
監督:なんか新鮮な感じですね。
加藤プロデューサー:そうそう。プサン(釜山国際映画祭)で磨かれてきたなあと。
一同:(笑)
加藤プロデューサー:そうですね、みどころの1つは、主演の2人の吉倉さんと柳楽くんの演技ですかね。表情と演技と。あとはやっぱり、テーマはちょっと要素的には重い部分もあるかもしれないですけど、逆に「青春ラブストーリー」なので、男女のラブストーリーだからこそ起きる事件ですし。最終的にはどのように希望を見つけるかっていうストーリーになっていくので、それはすごく、ほかの映画では見られないストーリ展開だというところだと思います。
―今日は実は立命館にお越しいただいているんですが、大学で試写会をされるということは、皆さんにとってどういう存在になると思いますか?
監督:そうですね。
吉倉さん:んー。
監督:きっかけは、森久先生(森久 智江・法学部准教授)に取材させてもらったところからだったので、そういったきっかけからこうやって公開前に出させていただけて、なおかつそのあとディスカッションを、ゼミ生とさせていただくんですけど、そういった勉強をされている方が、見てどう思うのかなというのというのを聞けるというのが、1つで。こちらも、そこから台本を作ってきたので。それ以外のところは・・・
吉倉さん:(笑)
―それ以外のところはどうですか(吉倉さんに向けて)?
吉倉さん:同世代といいますか、私もちょうど大学1年生の年なので、そういった方々に見ていただける機会っていうのは、公開前ですし貴重な機会なので、どんな反応をされるのかというのが、すごく楽しみです。やっぱり男性から見ても女性から見ても、世代が変わったりとかすると、受ける印象だったり衝撃というのは、こういう事件の問題では、全然見る人の立場からいろんなものが変わってくると思うんです。今日はディスカッションっていう機会もあるので、そのときにいろんな反応を見たいなという楽しみはあります。
―監督は「大学」というこの場所で上映されるということは、どういう感覚ですか?
監督:こういう映画やメディアというのが、勉強や研究の一つのテーマになるようなものにもなったんだなっていうのがあるかと。それを目指して作ったわけではないんですけど、ちゃんと心にも届くし、そういう問題というか、社会的なメッセージも内包しているものになったからこそ、議論やテーマにもなるなっていうのは、そういう意味で映画や映画っていうジャンルの幅を広げると思います。それはすごく良いきっかけだし、こういうことが増えていけばより映画っていうのは浸透していくのかなと思いますね。
―そうですか。この大学にも「映像学部」がありまして、かつては山田洋次監督が客員教授でいらしたりするそうで。
お三方:えー。
―立命館は確かに映画に強い大学かもしれません。
◎映画のテーマが色々あるうちの一つで、「修復的司法」というのをテーマにされているということで、監督自身は「修復的司法」についてどういう考えを持っていらっしゃいますか?
監督:そうですね、僕はテーマを聞くまでは全然そういう司法のことも分からなくて。「修復的司法」の本を確か2年位前に読んで、記憶が曖昧かもしれないですけど、理想モデルみたいなのがあって、最終的に事件に関わった人たちが全員対面して問題解決するのを、理想としているような司法だったと思うんですが。まあでも考え出すと、結構たぶん、実際の法学部でもなかなかの議論になるようなものだと思うので。それはうちでは映画にするっていうのは難しいと思ったし、僕もそれは良いことなのかどうかっていうのは、なかなか判断できないですけど。ただその取材した被害者・加害者対話という会もそうだったんですが、その可能性の1つとして「修復的司法」というのがもう少し浸透すればいいんじゃないかなっていう。つまり「対話」するというか、法律だけで裁くんじゃなくて、会って話すことによって何かしら解決方法を見つけるということも選択肢の一つとして提案できるというのが一番かなあということで。そういうことが何か伝わればというか、映画を見た後に「修復的司法」ということではないんですけれども、実際会って話すことで解決するというか、ちがう道がひらけるということの可能性が事件によっては、事件の種類によっては残されているということが伝われば一番かなっていう。
―この「修復的司法」ですがやはり、緻密なリサーチをされたとお聞きしています。「緻密なリサーチ」というのはやはり映画を作るうえで重要だったと思われますか?
監督:そうですね。まあその司法の知識を深めるというのも、必要かなと思ったんですが、それでもそこまで深くまでというか、本は読みましたけど。この映画にしようと思えたのはやはり、「直接会って話す解決」という可能性を示したかったわけで。ですので、どっちかといったら、司法よりも実際取り組まれている弁護士の方やまたは被害者の方に加えて、加害者の人にも話を聞いたりとかして、(司法の)仕組み以上に、対話に至るまでの流れというか、そちらのほうを結構取材していた感じです。
◎この映画はドキュメンタリーのようだとか、役者さんのリアルな演技が素晴らしい、という評価が高いと思います。この「ドキュメンタリーのようだ」とか「リアルさ」というのは、どういう風に出されていったのでしょうか?役者さんからの立場から見て「リアルさ」というのは意識されたりしましたか?
吉倉さん:というのも、さっき監督がおっしゃっていたとおり、クランクインの日が台本の1ページ目で、クランクアップの日が台本の最後のページの「順撮り」だったのでそこはやっぱり何よりもリアルな表情だったり、リアルな芝居という形につながったのかなって思うことの1つです。でもやっぱりスタッフの方や役者の皆さんがコミュニケーションをすごく取っていたので、そういったところでも、リアルな関係性を描く上でポイントになったことなのかなとは思いますね。
―ドキュメンタリーみたいだなと私が一番思ったのは、カメラのアクションというか、撮り方が、本物のドキュメンタリーみたいだなと思ったんですが、その辺りは製作陣のお2人はどこか意識されていたりするんですか?
監督:やっぱり「手持ちカメラ」っていうのが、おそらくドキュメンタリーっぽくなるという。だいたい撮影部と話したのは前半と事件の前までは、最初、ドキュメンタリーのように撮って、事件のあとは三脚を使って、カメラを据えながら撮るという全体的な流れがありました。まあ基本は、吉倉さんというか、はつ実に寄り添って撮っています。それは映画を撮ることプラス、はつ実を撮るっていうか、吉倉さんを追いかけるという撮り方なので。ただ実際は、厳密に映画的なカメラワークなのかと言われると、若干粗い面もあって。まあそれはよく映画祭では言われていて、まあ良いアドバイスだと思って、次で頑張ろうと思っているんですけど(笑)。やっぱり役者を追いかけることと、これは結構リアリティというか、取材をしたこともあって、別に実際のモデルになった人はいるわけじゃないんですけど、なんていうかそれ以上に、そこに気づかせるような、映画の中で気づかせるようなことをしないと、最後の対話自体が、芝居としても座って話すだけなので、そこにリアリティが無いと、あそこで音楽とかを入れなきゃいけなくなってきたたりだとか、やっぱり実際座って話すってことの密度というか緊張感を出すために、リアリティを追求していったのかなと。
―そうですか。「リアリティが無いなら音楽を流すしかない」というような言い方をされていましたけれども、確かに音楽が流れない時間帯があるなあ、と思いました。そこはもうリアリティが既に演技で出ていたということなんですかね。
監督:そうですね。こういうテーマというか、シリアスな感じでもあったし、僕は個人的に基本は音楽を使わずに芝居で通すようにとりたいなと思っていて。まあテーマによりますけど、今回の映画は本当に、もう音楽無しでもいけるような映画にしたいなっていうのはあったので。芝居をちゃんとつくることに集中した感じですかね。
―音楽つながりでいきますと、小林武史さんとSalyuさんがタッグを組んだ主題歌なんですけれども、これは監督の希望だったりするのですか?
監督:そうですね。まあ偶然で、短篇の「転校生」というのが北海道の札幌の映画祭にノミネートされて、審査員がたまたま小林武史さんだったんですが、短編を褒めてくれて、賞も頂いたんですけど、そのとき壇上で「今度仕事一緒にしたい」とかボソッと言ったら逃さずに・・・そんな感じです・・・。
一同:(笑)
―監督はロックとか好きだったりするんですか?
監督:あ、ロック好きですよ。
―小林武史さんは、ミスターチルドレンのプロデューサーだったりされますけれど。
監督:ああーそうですね。ミスチルは、聴いてます。というかまあこの企画の始まりから考えて、小林武史さんになるとは思わなかった(笑)。
吉倉さん&加藤プロデューサー:(笑)
監督:偶然というか、駄目もとって言ったらいいんですけど。でもSalyuさんということで、女性ヴォーカルにしようというのは、プロデューサーとも話していて、曲で、歌声で終えるなら女性ヴォーカルしかないなって思っていました。
加藤プロデューサー:(映画は)はつ実で終わるので。だからっていうのと、ちょっと話していたのは、地に足をつけて歌うタイプというよりは、まあ最後は手放しで喜べたり、ハッピーエンドっていう感じではないじゃないですか。ただまあ、希望は見出していくというところもあったので、ちょっとこう、人を離れた声というか、宇宙的みたいな、曲が流れるほうがいいなあというふうには思っていました。取材でレイプされてしまった被害者の女性の方の公演とかを聴きに行くと、なんかすごく・・・なんかすごかったですね。オーラが。
監督:そうですね。もうリアルにいけばこう・・・「ひとつ超えた人」の感じですかね。だから、ある種別世界というか、表現は難しいですけれど・・・。
―主題歌にもストーリーがあったんですね。
監督:そうですね。小林さんにも映画を見てもらってから、作詞してもらったのでほんとのオリジナル曲という。映画のために作ってもらった曲って感じですね。
◎金井監督は初めての商業作品になるのですが「修復的司法」というテーマをなぜ初めての商業作品に持ってきたのでしょうか?
監督:まあ、持ってきたのは加藤さんのほうが・・・
加藤プロデューサー:あ、はい。
監督:まあただ「司法」メインで映画を作れるかどうかっていうのを聞かれたときには、さっき言った、司法の問題以上の人間的なドラマがすごくあるので。法律は法律でたぶん、大事だと思うし、人を裁いたり、世の中をうまく活かす、世の中を動かす、世の中を正しめる、規律するという意味では、それはそれで必要で。もっと別の方法で、もっと人の心に寄り添うというか。ほんとに人が傷ついたときに、例えば誰が隣にいるかということが多分、もう一つのほうで重要で。そういう意味で自分は「修復的司法」は結構人に寄り添ったほうの取り組みだと思ったので。さっきも言った「可能性」の1つとして、提案できたり、提案っていうか、まあ基本僕は「ラブストーリー」で撮ったつもりなんですけれど、その中に含まれているメッセージの1つとして、そういう解決方法があるというのを知ってもらうというのは、必要だなって思ったし、ちょうど映画のテーマというかドラマにもカットにもなるので。だから自分としては「司法」のことを撮ろうと思ったら、撮れないけれど、その「司法」によって、どういう人の動きがあるかというか、心の動きがあるかとか、どういう可能性があるかだとか、または映画で見せられる表現の1つとして、そういう「修復的司法」が生きるんじゃないかなと。
加藤プロデューサー:私は取材を先にしていて、それで森久先生にもお会いして。「被害者・加害者対話」というのが、監督がおっしゃたように、ものすごく人的だなあと思ったんです。事件ももちろん、人と人なんですけど、そのあとも「人と人」で対面して、ある種解決というか、方向を見出していこうっていうことを実際にやっているというのは、すごくびっくりして。そして「(修復的司法を)法としても」などとやっていこうとしている人もいるというのがあって。で、一方でその金井監督のあの「求愛」という、インディペンデントの作品を見て、すごく面白いなと思って、お会いして話した時に、「監督としてどのような作品を撮りたいですか」と聞いたんです。何かカッコいい映像だとか、面白いストーリーとかっていう人も、いるんですけど、まあ一言目が「人を撮っていく映画を創りたいです」っていう。それがまあ転機なんだと思うんですけど、人が魅力的に映る、人を追っかけていく映画を撮っていきたい、とおっしゃったのでほんとそこが一致したというか。題材でものすごい人があふれているようなテーマの取材をしていて、一方でそれを撮りたいと言っている監督がいたんで、「こういう題材あるんだけど、やってみます?」みたいなとこが3年前くらいですかね。そんな感じです。
―山口先生やゼミ生の方から「修復的司法」の修復の対象は、被害者・加害者間のみならず、その2者各々の周りの人々の関係の修復でもあるという意味を(映画を見たあとに)聞いて、最後の、母と娘が抱き合う(つまり2人の和解の)シーンの意味を知ったんですけど。すごい演出だなあと思いました。
加藤プロデューサー:(そのシーンは)吉倉さん的にはどうだったんですか?
吉倉さん:あのシーンですか。あの日そのシーンを撮るときに、なんだろう。隆太朗とのその事件だったり、いろんな自分の葛藤だったりっていうのが、自分の中で心のなかに落ち着いたなっていう思いと、お母さんとの関係というのも、やっと心を通わせることもできたし、いろいろ心配かけてごめんねっていうのと、ありがとうっていう思いがありました。(それらの気持ちが)こみ上げてきてお母さんに抱き付けたっていうのはなんだかすごく、(はつ実が)子どもらしくなったなとは思いますね。
―「子どもらしい」ですか。あのシーンには本当に感動しました。
◎「陸上競技」がフィーチャーされていますよね。ランナーの心情をよくとらえているなと思いました。長距離ランナーって、ちょっと人には理解されませんが、長く走ることも好きなんですよね。そういう心情をやはり、主人公はよく走りますし捉えているなあと思いました。
監督:吉倉さんもプロフィール見たら、「特技・中距離」ってなっていて、聞いたらなんだっけ、誰かを抜いていくのが好きなんだって。
吉倉さん:そうですね!
一同:(笑)
監督:走り方もすごくきれいで。まあ「陸上」って書いてしまったものの、やっぱり大変なんですよね、走れない子を走らせるのも大変だし。そういう意味では吉倉さんはぴったりだったなというのはあります。あとは、陸上は自分との戦いですけど、今回はライバルもいるし、そういう比較もあるかと。最後に「スタートに立ちたい」っていう台詞があるとおり、いつもは多分「何秒でゴールできるか」とか、あとは「どれだけ長く走れるか」などと考えると思うんです。それと真逆のことになっているというのは、そういう「陸上」というのにはぴったりあてはまるのかなっていうのはありましたね。ゴールなき道のりですから。
加藤プロデューサー:それはあの、まさにここで言っておかなければいけないことがありまして、立命館の森久先生に取材をさせていただいたときに、事件に遭ったり何か人生の中で傷ついたときって、人間はまあ「マイナス」の記号を背負うというか、日常からマイナスになってしまうと。それを手助けして、また新たにスタートする時というのは、その人をプラスの方向にしてあげることって思いがちなんですけど、そうではなくて、人をゼロに立たせてあげるっていうことがすごく大切なことだと教えていただきました。それがいわゆる弁護士だとか、更生施設だとか、いろいろあると思うんですが、どちらかというと、プラスの要素を考えてしまうんですけれども、人は、人間はゼロのところに戻れれば、そこからプラスに動くっていう動きは、結構自分1人でがんばれたりもするんだと。マイナスからゼロに戻ることっていうのは、やっぱり周りの人間の助けが必要だし、そういった考え方も必要だと思うとおっしゃっていたんですよ。それを今回の映画のテーマの一つである、「ゴールできなくてもいいからスタートラインに立ちたい」っていうところに還元したいという。それが「プラスがゴール」というか、走る人っていうと「ゴールする」、「何秒で」みたいなのが、価値観であると思うんですけれど、スタートラインに立つことさえできない人もたくさんいるということも事実ですよね。しかしそこに立ってるっていう喜びとか、希望もあるっていうのは、まさに先生からいただいた言葉から出来たものです。ほんとにそれはあの、(森久智江)先生にお伝えください・・・
―森久先生は今どこに、どこにいらっしゃるんでしたっけ?
同席していた山口ゼミの山口直也・法務研究科(法科大学院)教授:メルボルンです。
一同:(笑)
◎吉倉さんにお伺いしたいのですが、台本に書かれている以上に何か感情移入するために、役のバックグラウンドを考えたりなどされましたか?
吉倉さん:そういうのは、シーンによって必要だったりするときは、その前に考えたりなどしていたことはあったと思うんですけれども、基本的には、撮影の合間に起きている出来事が全てはつ実としての人生のひとつだと思っていたので、そのシーンそのシーンに活かされて、お芝居ができているっていうのは、それこそ「リアル」につながった、「リアル」に感じてもらえるような、ドキュメンタリーに感じてもらえるような、そんなお芝居につながったことなのかなあとは思います。
◎映画「ゆるせない、逢いたい」は “AGAIN” というタイトルが洋題ですよね。AGAINとは、再び・もう一度という意味なのかなと思って、辞書を調べてみたら、「もとのところへ」「しかしまた一方では」という訳も出てきたんですよね。これは、AGAIN とは深いなあと思いまして。監督にとって“AGAIN”というタイトルはどうですか?
監督:あのそれ、プサンでもものすごく言われて、「ゆるせない、逢いたい」っていう邦題なのに、なんでAGAINなんですかって、けっこう毎回言われてましたね。まあやっぱり洋題というのは、シンプルというか、一言二言で言えたほうが良いっていうのがあるので、「ゆるせない、逢いたい」は全然英訳できなくなってしまいますから。また別の言い方をしなくちゃいけないといったときに、AGAINっていう単語が出てきて、これはその、はつ実もそうですけど、再びスタートに立つという意味もあるし、まあ隆太朗も、お母さんもそうだし、もう一度みんな、違う位置からはじめるというか、例えば傷を負わなかったころには戻れないけれども、もう一度、再び何かを始めるというか。再生の話ではあるので、そういう意味ではAGAINっていうふうにしてありますね。例えば「ゆるせない、逢いたい」というのは、はつ実の気持ちを表したタイトルで、“AGAIN’’というのは映画全体を表したのかなっていう。
加藤プロデューサー:(映画タイトルは吉倉さんの)直筆ですもんね。
吉倉さん:はい。「ゆるせない、逢いたい」のタイトルは自分で書いてます。
―あー、そうなんですね。
監督:吉倉さんの字ですね。
加藤プロデューサー:「題字、吉倉あおい」!<吉倉さん(笑)>
◎それではお時間となってしまいました。本当にありがとうございました。
<舞台挨拶が行われる>
上映後の舞台挨拶では、加藤プロデューサーが「映画制作にあたって立命館大の森久准教授に取材をした」ことから、今回の先行試写会が実現したことなどが話されました。
金井監督はこの映画について、「『デートレイプ』という言葉が先行しているけれども、その事件が起きてしまってからのひとつの方法として、「修復的司法」であったり“対話”の可能性を提示したかった」ということなどを述べました。
学生から主演の吉倉さんに「主人公・はつ実を演じていて辛いことは無かったか」という質問に対して、吉倉さんは「辛いというよりかは、葛藤であったり、もどかしい気持ちや悔しい気持ちになったことがあった。周りのスタッフのおかげで撮影では辛いということはなかった」と答えました。
<試写会後ディスカッションが開かれる>
上映終了後、場所を移してゲストの3人とゼミ生や山口教授を交えたディスカッションが行われました。
ゼミ生からは多様で、鋭い意見も多く出され、加藤プロデューサーや金井監督からは「座談会として、撮影しておけば良かった」という言葉が出るほど有意義な時間になりました。以下ではディスカッションで討論された内容を一部紹介します。
ゼミ生の1人から、「加害少年となってしまった隆太郎について彼の背景をもっと描くべきではなかったのか」という意見に
監督は「当初は加害側も描く予定だったが映画的に説得力を欠くものとなってしまうため切った。それのカバーとして隆太郎の周りの人の存在があったと思う」と答えました。
また監督は「ラブストーリーと謳っているのに「好きだった」と過去形になっていたりする。ケータイに頼ってしまったりと時代の流れもある。そんななかでも「被害者・加害者対話」の可能性を提示できたら」とこの映画について述べました。さらにこの映画の裏設定としてヒロインの父は親子ゲンカ中に事故死してしまったという設定であることを挙げて「『生きているなら、会って話す可能性はある』ということも伝えたい」と述べました。
男子ゼミ生の1人から「この映画は理想であり、現実ではこのように対話をするのは難しいのでは」という意見が出されると
監督は「この映画では理想を描いた。対話とは現実か理想かに分かれるが、ラブストーリーであるということで、主人公の回復の過程を心理描写中心に描いた。理想を描くことで『対話』の可能性をやはり示せたら」と話しました。
見た人の意見が分かれるシーンについて吉倉さんは「隆太郎に抱きつくシーンだと思う。はつ実を演じた自身では、彼に対する愛情と互いにこれからは別々に生きていかねばならないという気持ちから、おでこを付けるシーンになったと思う」と話されました。ちなみにこのシーンはもともとの台本にはなかったそうです。海外では隆太郎に駆け寄っていくシーンで、はつ実が刺しに行くかと思ったという意見もあったとのことです。それだけ見る人によって感じ方は異なるシーンと言えます。
女性の参加者から「対話を持って修復するというのは、女性目線から見たときに、新たにまたは再び関係性を築けるかどうかというと難しい」という意見も出されました。「2人ともまた付き合ったらいいのに、と思った男性は挙手して」という質問に実は結構の男性が手を挙げました。しかし女性目線で考えると、「そう簡単にはいかない」というのが率直な意見だったりするということです(この記事の筆者は男性)。
ディスカッションの最後に加藤プロデューサーは「言葉にできないものを、映画にはできる。見終えて、ああ良かったなあという映画もあるけれど、(こんなふうに考えさせられるような)こういう映画もあるということです」と会を締めくくりました。(阪田裕介)
映画「ゆるせない、逢いたい」は11月16日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほかで全国ロードショーです。
京都では京都みなみ会館で2014年公開です。
映画「ゆるせない、逢いたい」公式サイト http://yuru-ai.com/
「修復的司法」について詳しくは
NPO法人
被害者加害者対話の会運営センター