イラク北西部のシンジャルに集住していた少数宗教のヤズディ教徒。過激派組織イスラーム国(IS)から邪教と見なされ2014年8月に襲撃を受けた。襲撃前からヤズディ教徒を取材し、現場の声を伝え続けている玉本英子さん(52=アジアプレス・インターナショナル所属)が18日、本学衣笠キャンパスにて「写真と映像で伝えるイラクのヤズディ教徒」と題した講演会を行った。(鶴・廣部)
ヤズディ教はゾロアスター教やミトラ教などの影響を受けた宗教で、イラク国内に約60万人の信徒が暮らしている。マラク・ターウース(孔雀天使)を信仰することなどから、過激なイスラーム教徒には「悪魔崇拝」として迫害を受けてきた。2007年にはアルカイダ系組織による自爆テロで約400人のヤズディ教徒が死亡した。
2014年には、急激に支配地域を拡大していたISがシンジャルとその周辺のヤズディ教徒の暮らす村や町を襲撃した。襲撃を受けたヤズディ教徒は北東のクルド自治区を目指すが、幹線道路はISによって閉ざされ多くのヤズディ教徒が捕らえられた。この際、男性はイスラームへの改宗を迫られ、拒むと殺害された。多くの男性は改宗を拒んだ。その理由を玉本さんは「ヤズディ教徒にとって宗教は単なる信仰の対象ではなく、自分を形づくるものであり、改宗は受け入れられなかったのです」と説明する。
捕虜となった子どもや女性は「戦利品」としてISの重要拠点であったモスルなどに連行され、奴隷市場で「売買」された。男子は少年兵養成所でIS戦闘員として養成され、女性はIS戦闘員から性的暴行を受けた。IS戦闘員によって性奴隷にされた女性の声を玉本さんが代弁する。
「私はレイプされた時、1日に何度も殺されました」
ISが支配した地域のほとんどは、クルド人部隊などの手によって奪還に成功し、シンジャルも解放された。だがヤズディ教徒の多くは現在でもシンジャルに帰還することはできない。地域のコミュニティが破壊されたからだ。町は破壊され瓦礫の山になった。かつて隣人として暮らしていたムスリム住民との関係も瓦解した。
「ISがシンジャルを襲撃した際、ヤズディ教徒の住居を密告したのはムスリム住民でした。もちろん彼らもISに脅された可能性が高いですが、それでもヤズディの中には『またムスリムが裏切るのではないか』という不信感があります」
ISの襲撃は、今なおヤズディ教徒の心に深い傷を残している。ISに2年間以上、拉致された少年はヤズディ社会に順応できず、性的暴行を受けた女性はトラウマに苦しみ続けている。玉本さんは「メンタルケアに答えはない。ケガのように治ったのかも分からず、治療が難しい」と話す。またヤズディ教徒の両親はヤズディでなければならないので、IS兵士とヤズディの女性との間にできた子どもは教徒として認められない。こうした問題が山積している中で、ヤズディへの関心が薄れつつあると玉本さんは警鐘を鳴らす。
「ISが駆逐されたことで国際社会の関心が遠ざかり、避難民キャンプへは十分な物資が行き渡っていません。ISの問題は終わっていないのです」
ヤズディ教の問題については、玉本さんがYahoo!ニュースで執筆している記事が詳しい→玉本英子さんの記事一覧
来場者の感想 「取材者の生の声が聞けた」望月泉さん(文1)
明学館の踊り場でビラを見て、講義の合間に参加しました。ヤズディ教徒への迫害は新聞報道でボンヤリとは知っていましたが、今日の講演で、迫害の背景や現状などを具体的に理解できました。日本文学を専攻していますが、他国との繋がりを忘れないようにしていきたいです。
玉本英子さん インタビュー
―なぜ、ジャーナリストを志したのですか?
大学卒業後は食品会社でデザインの仕事をしていました。26歳の時、抗議活動をドイツで行うクルド人の姿をテレビで見て、クルド問題に関心を抱きました。抗議の最中、1人の男性が抗議活動の中で自分の体に火を放ったのです。私には、それが現代の出来事だと信じられませんでした。
「そこまでして何を訴えたかったのか」と関心を抱き、渡欧しました。アムステルダムのクルドカフェを尋ねた時に偶然、焼身抗議を行った男性とお会いしました。その男性に「なぜ自分の体に火を放ったの?」と聞くと「自分の故郷に行ったら分かる」と男性は答えました。
そうしてトルコ南東部のクルド人が多く暮らす地域へと渡った時に、何か肩書がいるなと思って「フォトグラファー」と名刺に書きました。そこでは実際に、子を亡くした母親や拷問で爪を剥がされたパン屋さんに会ったのですが、人の厳しい状況を伝えていくという覚悟が当時の私にはありませんでした。興味本位で行くことは失礼だ。ちゃんと伝えようとジャーナリストになりました。
―なぜ映像という表現方法を選ばれたのですか?
映像はその人の話している言葉とか、表情とか、目の輝きがダイレクトに伝えられるからです。1990年代初頭に取材の企画から撮影・編集まで1人でやるビデオジャーナリズムというスタイルがアメリカで確立されました。その流れの中でビデオカメラを手に取りました。最初はヨーロッパの麻薬患者に密着したり、トルコの結婚式事情を取材したりとなど色々な経験を積みました。自分の能力がまだ低かったので、難しい人権問題には着手せず、出来そうなことから取材しました。当時は記者として問題をどう伝えるのかという視点が欠けていました。それを学ぶのに時間がかかりました。
―取材先で大切にしていることは?
準備が完璧じゃないと思った取材は止めます。何かあった時に個人の責任では済まされない部分もあると思うからです。
―どのような思いで記者を続けていますか?
同じ時代にいながらも、苦しい状況の中に生きている人たちのことを知ってほしいです。取材映像を見た人が、これらの問題を知ることによって、何か小さなことでも動くきっかけになるかもしれない。取材現場で人びとの悲惨な体験を聞くことは辛いことです。それでも記録を残さないと無かったことになる。ISによる組織的なヤズディ教徒への虐殺や性暴力を許すことはできません。一方、加害者である元IS戦闘員も取材しましたが、悪魔でも何でもない、普通の人たちでした。イラクの場合、2003年のイラク戦争後の混乱の中で、治安部隊に拷問を受けるなどした若者たちが、政府に恨みを持ち、ISに入ったケースも少なくなかった。被害者が加害者に転じるのを多く見てきました。それは人ごとではないということも知ってほしい。
―最後に学生にメッセージをお願いします
学生時代は一番、自由に動ける時間があると思います。今だとネットがあるので、情報を得るのも容易かもしれませんが、人に会いに行ったり、直接話を聞いたりすることは大切です。そういった経験が後々、活きてきます。それから世界で起こっていることに関心を持ってほしいです。ISによるヤズディ女性への性暴力では、大学生と同年代の女性たちが被害に遭いました。少しでも自身に引きつけて考えてもらえたらと願います。
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