学校法人立命館は西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)との連携・協力に関する協定が3月25日に京都鉄道博物館(下京区)で締結した。立命館が鉄道事業者と連携協定を結ぶのはこれで3件目となる。
協定の内容には①地域連携事業として学術研究、教育、健康、スポーツ、地域文化伝統の継承と振興・発展②技術の振興および地域貢献③魅力あるまちづくりの推進④人材の育成⑤各々が有する資源の相互利用の5つが盛り込まれた。長期的なまちづくりを目指す一方、具体的な連携内容については今後、検討していくことになる。
大阪いばらきキャンパス(OIC)は地域・社会連携を教学コンセプトの一つにしており、JR沿線に位置している。今回の協定はJR西日本の掲げる「沿線地域の活性化」と大学の教育活動の理念が一致したことで実現した。協議の中で大学の教育活動の活性化、地域の活性化および将来必要とされる人材の育成等の取組を進めることを確認し、連携協定に発展した。本学OIC地域連携課の植松幹雄課長は「この連携協定はあくまでも両者の協力関係を強化する第1歩だ。今後さらなる連携の具体化を図り、学生にとって有意義な取組につながるよう検討していきたい」と今後の展望も含めて語った。
OICではこれまで、地域住民向けのイベントやホッケースクールなどの地域の子ども向けの取組みが行われてきた。今後JRが参画することで、告知等のさまざまな協力が期待できる。学生にとってもこの協定が結ばれたことで、さまざまな協力が期待できる。(小板橋)
4月7日に行われた大阪府知事・市長の同時選挙、いわゆる「大阪ダブル選」は大阪維新の会の吉村洋文氏が知事に、松井一郎氏が市長に当選した。今回の選挙の結果を受けて、2015年の住民投票で否決された大阪都構想が再び動き出すこととなる.
昨年11月23日にパリで開かれた博覧会国際事務局(BIE)総会において、2025年国際博覧会(万博)が大阪で開催されることが決定した。
国内で大規模な万博が開催されるのは2005年の愛知万博以来で、大阪では1970年以来55年ぶりの開催となる。
2025年大阪万博は「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに、大阪湾に浮かぶ人工島「夢洲ゆめしま」で5月3日~11月3日までの半年間開催され、約2800万人の来場者を想定している。
大阪で万博を開催する理由について大阪府政策企画部万博誘致推進室事業調整グループの勝見友一さんは「万博開催により2020年の東京オリンピック・パラリンピック以降も日本の経済成長を持続させることができる。また、万博は一過性のイベントではなく、世界中から集まった人々が交流し、知恵を出し合うことによって技術革新が進み、人類共通の課題を解決するきっかけとなる」と語る。
人気バラエティ番組「探偵!ナイトスクープ」(朝日放送)が、今年で放送30周年を迎えた。30周年に際して奈良井正巳プロデューサーにインタビューを行った。同番組を手がける奈良井プロデューサーは本学のOB。後編では、探偵!ナイトスクープを始めとする番組制作についての話をお伝えする。(聞き手 石井)
―長寿番組に携わるということで、特別な意識等をすることはありますか。
「探偵!ナイトスクープ」は30年の歴史がある番組で、やはり重圧がある。歴史や伝統を守っていかなければならないが、守るためには常に新しいことをやっていかないといけない。だから、古ければ古いほど、新しいことをやらなければいけない比重が増えてくるんだよね。要するに、VTRを出しても「これ、前やったやん」とか「同じような結末、前にあったやん」というのをボツにしていく。新しい演出方法を思いついたらそれを入れていく。みたいなことは常に意識していますね。そしてほかの番組と比べて関わる人が多い。VTRに出演する一般の方も含めると、かなりの人が出ている番組。そういう人たちの思いを裏切らないようにというのは考えてやっています。面白くしゃべってくれた人は面白く、頑張ってくれた人は頑張っている様子をそのまま放送する。
【6・7月号紙面より/WEB版特別編集】
朝日放送テレビの人気バラエティ番組「探偵!ナイトスクープ」(毎週金曜日よる11時17分から放送)が、今年で放送30周年を迎えた。30周年に際して、番組を手掛ける奈良井正巳プロデューサーにインタビューを行った。奈良井プロデューサーは立命館大学のOB。前編では、本学での学生生活についての話をお伝えする。
―本学での学生生活で印象に残っていることはありますか。
僕は劇団立命芸術劇場という演劇サークルの出身なんです。授業には最低限しか出ずに、朝から晩まで演劇をやっていた。年に何回か公演があって、演劇、演劇、バイト、演劇、演劇、バイト、授業ぐらいの感じでしたね。ほんまに芝居やってる印象しかないなあ。今はなくなってしまっていたけど、以学館の倉庫が僕らの部室で、そこに午後から集まって発声練習をしたり、ケンカしたりしていたのが一番の思い出ですかね。ケンカしたり、仲良くなったり、笑ったりみたいな。あとはくれたけ、東門を出たところにあった定食屋さん。べんけいとかも行っていた。あとジャンボのお好み焼きをよく食べていた。あとは太秦映画村でバイトをしていた。時代劇のエキストラのバイトで、行ったらヅラを被せられて、着物を着せられて、1日8000円ぐらいもらえていたな。でも、演劇部の先輩と行くから、その8000円をすぐに飲みに行って使ってしまって。バイトで言うと、わら天神にあったお好み焼き屋さんでバイトをしていた。ほとんど遊んでる記憶しかないねんなあ。
10月14日、3キャンパスで開催される本学学園祭が、大阪いばらきキャンパス(OIC)で幕を開けた。
バトントワリング部と交響楽団のコラボステージがオープニングを飾ったOIC祭典。模擬店や縁日企画は多くの人で賑わい、ステージや団体企画も盛況となり、来場者数は7000人を超えた。秋晴れのもと、学生のみならず多くの地域住民が訪れるOICならではの学園祭となった。
孫が経営学部に通っているという男性は「学園祭を機に初めて訪れたが、綺麗なキャンパスで感心した」と話す。ステージでダブルダッチを披露した女子学生(国関2)は「たくさんの人に見てもらえて気持ちよかった」と語った。
学園祭実行委員長の鶴田大輝さん(法4)は「今年は天候に恵まれ、様々な企画で来場者の方に楽しんでもらえた。次の衣笠祭典・BKC祭典でも安全に気をつけて運営したい」と意気込む。
学園祭は11月11日に衣笠キャンパス、11月25日にびわこ・くさつキャンパス(BKC)と続く。次の祭典でも「貪欲に楽しめる祭」となってほしい。
7月5日から8日にかけ、西日本の広い範囲で記録的な大雨。気象庁により「平成30年7月豪雨」と命名され、京都府をはじめとする計11府県に対して大雨特別警報が発令。7月10日17時時点で死者は146人を超えるなど、歴史的な大災害となった。
この西日本豪雨の際、大学の休講基準の適用は二転三転し学生や教職員を混乱させた。大学の対応にSNS上で異を唱え、休講基準についての提言書を作成している立命館大学法学部の木村和成教授に7月9日、話を聞いた。
(聞き手:鶴、石井)
学生や教職員を混乱させた一番の原因は休講の判断基準のぶれだった。
7月5日は大雨による災害の危険から特例的に全キャンパスで5、6限を休講と決めた。天候が悪化している中で6日の授業の有無についても、再び特例判断を下すと思われたが、大学は6日の授業を行うかの判断について通常の規定を適用した。しかも規定は台風をベースにしていて大雨災害は想定していない。この通常規定を適用して6日は授業を行ったが、同日昼ごろ、衣笠キャンパスの位置する学区への避難指示の発令に伴って、特例的な判断を再び行い同キャンパスを3限以降休講とした。つまり「特例判断→通常判断→特例判断」と判断基準が変わったのである。
「特例判断」についても誰が判断を下したのかがはっきりと学内で共有されていない。司令系統が我々(教員)にも分かっていないのに、学生が分かるはずがない。これは危機管理以前の問題である。また緊急対応をする部署も本学には存在しないため、すべて教学部の管轄になっている。早急に緊急対応部署を作るべきだ。
関西は阪神淡路大震災以後、大きな災害に見舞われてこなかった。この教訓があるにしても、時代状況は20年で大きく変わった。本学の対応には想定しなければならないことが想定できていないと言わざるをえない。インターネットの発達で即時性が高まっている時代に、もっとネットを有効活用するべきではないかと思う。
私(木村教授)が呼びかけて、ほぼ半日で50件を超える大学対応への意見が集まった。今回の大学の対応に無関心な人はいても、対応が正しかったと考えている人はいないだろう。
集まった意見を休講基準見直しの提言にまとめて、7月中には教授会などの会議体にのせたい。
7月5日から8日にかけ、活発な停滞前線の影響で西日本の広い範囲で記録的な大雨となった。京都府をはじめとする計11府県に対して大雨特別警報が出されるなど歴史的な豪雨となり、この影響で西日本各地に甚大な被害がもたらされた。
京都府では、降雨による増水の影響で、桂川・園部川・鴨川など府内の河川で氾濫危険水位を超え、一時氾濫する恐れが高まった。桂川が流れる嵐山の渡月橋は全面通行禁止となり、鴨川の三条大橋付近の護岸が崩落した。
また大雨により京都市内は洪水や土砂災害への警戒が強まり、本学衣笠キャンパスがある北区衣笠学区にも避難指示が出された。6日午後7時の時点で上京区、中京区を除く9区で25万8138世帯58万6043人に避難指示、1947世帯4551人に避難勧告が出された。滋賀県では大津市や草津市などで洪水警報が出され、琵琶湖が氾濫注意水位を超えた。
交通機関にも大きく影響し、JR西日本ではほとんどの在来線で運転を見合わせ、阪急など私鉄にもダイヤの大幅な乱れが生じた。また、山陽新幹線では線路内に土砂が流入し、7日は始発から運行を見合わせた。高速道路も西日本の多くの区間で通行止めとなり、四国と本州の間の陸路での行き来は一時できなかった。
また、本学の学生生活にも支障をきたした。全キャンパスで5日の5限以降の授業が休講、6日の授業については、BKCでは終日、衣笠キャンパスでは3限以降、OICでは4限以降が休講となった。7日は一部補講が行われる予定であったが、全キャンパスで終日休講となり、立ち入りが禁止された。
6月の大阪地震から関西では大きな災害が続いている。被災した地域の一日も早い復興を願うばかりだ。
大阪府北部を震源とし、最大震度6弱を記録した大阪北部地震。立命館大学は、地震による被害で、立ち入りが禁止されていた阪いばらきキャンパス(OIC)での授業再開を6月25日からとすると発表した。
OICは地震が発生した6月18日から24日まで一般の方や学生の立ち入りを禁止し、一部施設の復旧および建物の安全確認を行っている。大学の発表によると、建物・施設設備等の点検・安全確認が完了し、復旧の目処が立ったため、週明け25日より授業を再開する。
キャンパスの立入制限は26日午前8時に解除し、一般の方のキャンパス利用も再開される。なお、安全管理上、一部立ち入りを制限する箇所もあるとし、キャンパスを利用する際は、掲示物や大学関係者の指示に従ってほしい。
OICの建物の被害については、A棟内の建物と建物をつなぐエクスバンションの破損が各階で数箇所発生、階段と床のジョイント部分がずれる被害が各階で発生している。また立命館いばらきフューチャープラザ(B棟)にある本学図書館では、約5割の書籍が棚から落下する被害があったという。
このほか、ガラスのパーティションの破損が1箇所、天井の落下が各階で数箇所、照明落下が数箇所、それぞれ発生している。
大阪府北部を震源とし、最大震度6弱を記録した大阪北部地震から今日で5日。
震源に近い茨木市や高槻市周辺では、ガスの供給が止まっており、物流網も完全に回復しておらず、店舗の休業が続くなど、市民生活への影響が残る。
立命館大学大阪いばらきキャンパス(OIC)では6月24日まで学生の立ち入りを禁止するなど、地震の余波が続いている。
震源に近い茨木市に住む産業社会学部2回生の女子学生は震災翌日になっても、再開した大学へ行くことができなかった。彼女の脳裏にあったのはSNS上で話題となった最寄りである阪急・茨木市駅の惨状だった。天井から吊るされていた電子掲示板が地震の揺れによって落下した。
水曜日からは家族の反対を押し切って大学に登校しているが、余震への不安は絶えない。水や非常食を購入し、家族とは非常時の避難先を確認した。茨木市内にあるアルバイト先の水泳教室はガス供給が出来ず、未だ閉館している。
6月18日朝、大阪府北部を震源としたM6.1の大阪北部地震が発生した。この影響で、震源地に近い大阪府茨木市にある立命館大学大阪いばらきキャンパス(OIC)は地震発生後から6月24日まで学生・一般の方の立ち入りが禁止され、一部施設の復旧および建物の安全確認を行っている。
本学は19日、OICにおける被害状況を発表し、復旧活動を行っていると明らかにした。なお、立命館大学における学生・教職員の人的被害は確認されていないという。
大学側は「学生の皆さんがOICで安心して学習やクラブ・サークル活動に専念できるよう、教職員は引き続き安全確保を行い、復旧活動を進めていく」としている。
OICの建物の被害については、A棟内の建物と建物をつなぐエクスバンションの破損が各階で数箇所発生、階段と床のジョイント部分がずれる被害が各階で発生している。また立命館いばらきフューチャープラザ(B棟)にある本学図書館では、約5割の書籍が棚から落下する被害があった。
このほか、ガラスのパーティションの破損が1箇所、天井の落下が各階で数箇所、照明落下が数箇所、それぞれ発生しているという。
(6月21日16時加筆・修正)
6月18日朝、大阪府北部を震源としたM6.1の大阪北部地震が発生した。この影響で、震源地に近い大阪府茨木市にある立命館大学大阪いばらきキャンパス(OIC)は地震発生後から6月24日まで学生・一般の方の立ち入りが禁止され、一部施設の復旧および建物の安全確認を行っている。
震源地となった大阪府高槻市・茨木市周辺では、地震発生後から交通機関が麻痺し、大幅な遅れや運休、駅の一部が使用できない状態が続いている。
18日、JR西日本の在来線は大阪、京都、奈良、兵庫、滋賀の全てで運転見合わせた。21時頃にJR京都線・神戸線・琵琶湖線(東海道本線)の運転を再開、22時に大阪環状線の運転を再開している。19日朝も「列車通過時に通常よりも大きな揺れ」があったことからJR京都線では一時運転を見合わせ、19日も貨物用の線路が使用できない状態となり、列車に大幅な遅れが生じた。
私鉄各線は19日、阪急、南海、阪神、京阪、近鉄、大阪メトロの全線で通常道理運行を再開した。一方、伊丹空港から吹田市の万博公園や茨木市を経由して門真市まで走る大阪モノレールは、軌道や駅の安全が確保できておらず同日も運転を見合わせた。20日に万博記念公園駅から伊丹空港までの区間で運転を再開した。22日より、阪急線と接続する南茨木駅まで運転区間を延長。南茨木より東側の門真市方面の区間や彩都線の運転再開は未定だ。
また、阪急では震源地近くを走る京都線内の一部の駅でエレベーターなどが使用停止となっている。とくにOICの最寄り駅でもある阪急南茨木駅では、駅の損傷が激しく、京都線の運転再開後も下車・乗車ができない状況だったが、19日朝に一部の出入り口を除き復旧し、乗降できるようになっている。一方現在も立ち入り禁止の場所があり、駅の売店も営業を停止。エスカレーターやトイレは使用できない状態で、一部の出口が封鎖され、迂回路が案内されている。
6月18日午前7時58分頃、大阪府北部を震源とするマグニチュード6.1の地震があり、大阪府茨木市などで震度6弱の揺れを観測したほか、近畿地方の広い範囲で震度5強や5弱の揺れを観測した。
大阪府内で震度6弱以上を観測したのは、統計が残る1923年以降で初めて。同庁によると、震源の深さは13km、地震の規模を示すマグニチュードは6.1と推定される。津波の心配はないという。
地震の影響により、立命館大学は全キャンパスで18日全時限の授業を休講とした。
発生地点や規模などから、気象庁は南海トラフ巨大地震との直接の関連はないとの見方を示し、1995年の阪神大震災とも関連はないが、今後2、3日は大きい地震が発生する可能性があるという。
大阪府北部ではその後も余震とみられる地震が相次ぎ、午前11時半までに震度1以上の揺れを観測する地震が10回起きている。気象庁は「揺れの強かった地域では、家屋の倒壊や土砂災害などの危険性が高まっているおそれがあり、やむをえない事情がないかぎり危険な場所に立ち入らないなど身の安全を図るよう心がけてほしい」とした上で、「揺れの強かった地域では、今後1週間程度、最大震度6弱程度の地震に注意してほしい」と呼びかけている。
大変久々の更新となります。
さて今週末17日(日)は、大阪市を5つの区に再編する、いわゆる「大阪都構想」への賛否を同市民に問う、住民投票が同市内の各投票所で行われます。
私自身は大阪市民ではありませんので、投票権は持っていません。しかしこれまでの地方行政のあり方を大きく変える可能性のある「都構想」への賛否を問うわけですので、大変大きな関心を寄せています。
そもそも住民投票は、自治体が制定する「条例上」では「法的拘束力」がないものとされていますが、今回は大都市法という国家が制定した法律上で行われるため「法的拘束力がある」と決められています。大都市法での住民投票は、2012年に制定された同法下ではもちろん初。しかも住民投票という枠組みでも有権者は約214万人で過去最大規模です。
(日経新聞ウェブ版「住民投票 従来と違いは? 「大都市法」で初 結果に法的拘束力」)
とはいえ、この関西の地でも新聞・テレビなど大手メディアは必ずしも大々的には、この住民投票に対する報道を行っているとはいえないという気がしてなりません。
大阪市民の有権者には、「日本で最初の選択をする」という意識で、都構想に賛成・反対の1票を「必ず」自らの意志で投票してもらいたいと思います。それにはメディアで報道されようと、されまいと全く関係のないことだといえます。(阪田)
17日午前5時46分、阪神・淡路大震災から20年となりました。
早朝の神戸市、東遊園地には午前7時現在昨年の3倍近い1万4千人が訪れたとのことです(市発表)。やはり人ひとりが大人になるような「20年」という歳月を「節目」と捉えた人々が多かったようです。
しかしながら、20年前の震災は間違いなく「歴史化」しているのではないでしょうか。私自身当時0歳半で、震災当日両親らと神戸入りしていたそうですが全く記憶がありません。
このような「震災を知らない」世代、あるいは「震災を経験していない」人々にとって、20年前の震災はただ「かつてあったこと」であり「歴史の一部」としてしか認識できないでいることも十分ありえます。
92年前の関東大震災は、多くの人々にとって完全に「歴史化」しています。2011年の3月11日までは、毎年1月17日にメディアが特集する震災に関する報道を「今年もまたやってるよ。鬱陶しいな」としか受け流せなかった東京(だけではないでしょうけど…)の人々も多かったことでしょう。逆に阪神・淡路から20年が経ってしまった関西では「震災や災害」をさほど気にかけない人もいるかもしれません。そのような人たちにとってそれぞれの震災は「歴史」として、「自分には関係ないもの」として捉えている節がどこかにあるのです。
年月が経つにつれて、記憶は遠くのものとなり、そもそも経験した人の数自体が少なくなります。そう考えれば、災害が「歴史化」していくのは致し方ないといえるかもしれません。しかしたとえ「歴史」となってしまっても、私たちはその歴史から学ばなければなりません。「歴史は繰り返す」と言いますが、逆に言えば「歴史から学べば、過ちを繰り返さないで済む」とできないでしょうか。歴史から学び、災害に備えることを怠らなければ、再び多くの人が悲しみに暮れるという「過ち」は避けられるのではないでしょうか。
ビスマルクの有名な言葉に「愚者は(自分自身の)経験に学び、賢者は(他者からの)歴史に学ぶ」というものがあります。そう「天災は忘れたころにやって来る」のです。(阪田裕介)