本紙「2つの創刊」 80年の歴史 学園づくりを彩る

 読者の皆さま、あけましておめでとうございます。

 平成最後の元日に、ご挨拶と代えまして本紙の歴史を振り返る記事を配信いたします。昨年10・11月合併号に掲載したところご好評をいただきましたので、追加調査を基に加筆いたしました。長文ですが、本紙80周年の意気込みとして、一読いただければ幸いです。今後とも本紙のご愛読をよろしくお願いいたします。

 

【2018年10・11月号紙面より特別編集】

 

 本紙の上の方、余白に「○○号」との記載がある。これは新聞が創刊以来何号発行されているかを示すもので「紙齢」という。普通1つのはずなのだが、本紙には2種類ある。これに疑問を感じて、卒業を目前に控えた筆者は図書館に足繁く通った。恥ずかしながら、本紙の歴史は内々でも知られていなかったのである。2つの紙齢を手がかりに、本紙の歴史を紐解いていきたい。

創刊から戦後の復刊

 本紙の源流は、1939年7月10日に創刊された『立命館』まで遡る。大学を運営する財団法人立命館から発行されており、学生が編集に携わったかどうかは不明だが、1965年発行の『立命館学園新聞』一千号記念特集号ではこれを起源としている。図書館に残っていた紙面を見ると「謹みて慶祝し奉る 紀元佳節の盛典」や「青白きインテリを排撃 体力検定の実施」などと当時の社会情勢が感じられる。戦前の本学は、天皇即位の大礼の際、御所を警備するために「禁衛隊」が組織されるなど国家主義的な校風であった。

 戦争が長期化すると新聞発行も中断したと思われる。しかし復刊は早く、終戦と同年の1945年12月29日に『立命館大学新聞』第1号(以下『立命館大学新聞(旧)』)が発行されている。本紙と同名であり、学友会からの発行という点も現在と同様であるが、その内実は全く異なるものだったようである。同年11月に発足した当時の学友会は学長を会長として、大学教員が主要な地位を占めていた。学生のみで組織される委員会もあったようだが、それらにも大学教員の介入があったようである。『立命館大学新聞(旧)』の編集・発行責任者も教員が就く学友会総務部長であり、学友会の機関紙としての性格が強かった。

学生主体の大学新聞へ

末川博・名誉総長のことば「未来を信じ 未来に生きる」は今も衣笠キャンパスに刻まれている
末川博・名誉総長のことば「未来を信じ 未来に生きる」は今も衣笠キャンパスに刻まれている

 学友会が真の学生自治組織に生まれ変わったのは1948年のことである。そのきっかけを作ったのは『立命館大学新聞(旧)』だったのである。1946年11月、学園の民主化を訴える論説記事が総務部長によって削除を命じられるという事件が起きた。学園の民主化を推進していた末川博学長(当時)も学生たちの急激な民主化への訴えを困惑してか、記事自体への批判こそしなかったが編集責任者の判断ならば問題はないという見解を示し、学生の反発を生んだ。それまで段階的に議論されていた学友会改組の機運は一気に加速して、翌年の新たな学友会発足に結びつく。

 こうして新聞の発行主体は学生のみで構成される立命館大学新聞部(学友会事業部の一機関として位置づけ)に移る。1952年に刊行された広報誌『Life of RITSUMEIKAN』には、1949年に題号が『立命館学園新聞』に改まったと記録が残る。この頃「新聞部」から「新聞社」へと組織名も変わっていると思われる。ただしいずれの変更もその理由や過程についての文献は残っておらず、詳細は不明である。

 すでに長くなっているが、ここまでが「通刊○○号」の紙齢の来歴である。もうひとつの紙齢の誕生には、1960年代の学生運動が深く関わっている。

学生運動と第2の創刊

1969年1月20日、寮連合「全共闘」(準)の中川会館封鎖に抗議して、広小路キャンパスいっぱいに集結した学生・教職員/『立命館大学新聞』創刊号(1970年1月12日発行)より
1969年1月20日、寮連合「全共闘」(準)の中川会館封鎖に抗議して、広小路キャンパスいっぱいに集結した学生・教職員/『立命館大学新聞』創刊号(1970年1月12日発行)より

 1968年12月、9名の新聞社入社希望者が入社を拒否されたことに端を発し、拒否した新聞社員が関西の他大学の学生を引き連れて新聞社ボックスを襲撃して学生と教職員に百数名の負傷者が出た「新聞社事件」が発生した。この時の新聞社は過激化した全共闘一派によって占められていたことが後年の新聞記事で説明されている。運動の機関紙ではなく、学生の声を反映した新聞を発行する新聞社を復興する動きが進む。1969年に学友会新聞社再建委員会が立ち上がると、同年9月22日に彼らの手によって『立命新聞』が創刊された(発行所の表記は「立命新聞編集局」名義)。この間、『立命館学園新聞』は定期刊行を停止しており、立命館大学新聞社は適正な予算執行や編集がなされないことを理由に学友会からも外されている。同年中に、学友会新聞社再建委員会が新社員の公募や再建方針をとりまとめ、翌年の新聞発行にこぎつけた。

1970年1月12日に発行された『立命館大学新聞』の「新聞社再建新年特集号」(創刊号)
1970年1月12日に発行された『立命館大学新聞』の「新聞社再建新年特集号」(創刊号)

 1970年1月12日、『立命館大学新聞』の創刊号が「新聞社再建新年特集号」と銘打って発行された。1面の挨拶文には「立命館大学全学の世論を反映する新聞社が、(中略)七〇年代の幕開けとともに、新しく「立命館大学新聞」を全学のみなさんの手に届けることができたことを誇りに思います」と述べられている。この新聞から数えて、前号である10・11月合併号で787号に上る。来年2020年は本紙の再出発から数えて50年の節目である。

 戦前や学生運動の時代など、新聞づくりへの姿勢を反省しなければならない点は多くある。その反省は本紙に2つの創刊をもたらした。しかし、この2つの紙齢は80年もの間、本学の学生たちの歩みを見つめ、新聞を作る先輩たちの熱意を刻んできた。2019年という日本社会の画期に、平和と民主主義を探求し、学生のための新聞を作り続ける決意を新たにしたい。

 

(旧字体は新字体で表記)