あらすじ
ロヒンギャ問題に関心を抱いた私は2018年3月、ラカイン州(ミャンマー西部)の州都であるシットウェにやってきた。2012年にロヒンギャによる仏教徒へのレイプ事件が原因とされる大規模な衝突があった。シットウェでもロヒンギャへの報復が発生し多数の死傷者が出た。(第9回 収容所のある街から)
シットウェに住んでいたロヒンギャの大半は2012年の衝突以後、郊外の国内避難民(IDP)キャンプに逃れたが、一部のロヒンギャは街の中心部に残った。中心部に残ったロヒンギャが住む地域はアウミンガラと呼ばれていて、現地住民の話や報道から得た情報を統括するとおよそ4000人が暮らしていた。
アウミンガラは街の中心部から南北に伸びる路地の内の1本に面していた。そしてロヒンギャはアウミンガラから出ることを許されていなかった。およそ1キロの路地の中にすべての生活があった。
外国人がアウミンガラに入ることは制限されていた。私と山本くんは許可を得るために州政府事務所へ行ったが、門前払いだった。私たちはアウミンガラを分断する公道上でロヒンギャに話を聞くことにした。ここにも当然、警察官の目はあったが、往来するロヒンギャと話すことは咎められなかった。
警察官の目を気にしながらロヒンギャ男性が道路脇で証言してくれた。男性によると「アウミンガラに住むロヒンギャには仕事がなく、子どもたちへの教育もない。狭い地域に4000人が暮らしているので、耕作もできず配給に頼って生活をしている。CSO(社会奉仕組織)からの配給は月に2回あって、1回で10キロの米と2リットルの油が支給される。野菜や肉は支給されない。そうしたものが欲しければ、ヒンドゥ教徒に頼む。彼らに野菜や薬を頼んだら市場で買ってきてくれる」という。
「なぜアウミンガラに住むのか?」と尋ねると、男性は「ここには私の村で家がある。すべてのロヒンギャの居住地域は焼き払われたが、この地域は焼かれなかった。なぜ焼かれなかったのかは分からない」と首をかしげた。
そして最後に「ここはとても危険」とつぶやいて、警察官の方を窺った。外国人に証言をすることでロヒンギャには危害が加わる恐れがある。不安に満ちた表情がこの国でのロヒンギャの置かれている現状を表わしていた。
男性の話にもあったが、シットウェにはイスラームを信仰するロヒンギャだけでなく、ヒンドゥ教徒も暮らしている。ヒンドゥ教徒も集住しているが、街中を自由に往来している。ロヒンギャと同じインド系ではあるが「ヒンドゥ教徒への差別はない」(現地のラカイン人女性)という。シットウェに半年間、駐在している日本人男性も「そこまでヒンドゥへの差別があるとは思わない。少なくとも表立っては行われていないだろう」としている。
「なぜロヒンギャは迫害を受けるのか?」
次回は2012年の衝突を中央軸に置いて、ラカイン人とロヒンギャとの相克の原因を考えていきたい。
第11回「真実を求めて」 (鶴)
コメントをお書きください