【連載】ロヒンギャへの道 第14回 「国内避難民として生きる人々」

あらすじ

「ミャンマーで何が発生しているのか。ロヒンギャ報道の向こう側にいきたい」

 その思いからバスに飛び乗り、2018年3月にラカイン州の州都・シットウェにやってきた。2012年に発生したラカイン族とロヒンギャとの衝突以後(第11回 真実を求めて)、10万人を超えるロヒンギャが郊外の国内避難民(Internally Displaced People)キャンプに追われ、街中では約4000人のロヒンギャが隔離されていた。

 

「第9回 収容所のある街から」―シットウェで発生していること

「第10回 柵の中の生活―シットウェから―」―街中で隔離されたロヒンギャの生活

「第11回 真実を求めて」―2012年に何が起こったのかの検証

 

 シットウェでは「プリンスホテル」に泊まっていた。名前は立派だが、1泊7000チャット(560円)のおんぼろホテルだった。シングルルームで、壁は汚れていて蚊帳はほつれていた。消灯し寝静まると南京虫に苦しめられる。南京虫は英語でベッドバグという。英語名のとおり、夜に壁の隙間などからベッドに出没する。1匹に吸血されると、血の臭いで仲間も集まってくる。起きると蜂の巣にされていて、その痒さは相当なものである。夏目漱石は「坑夫」の中で南京虫に噛まれる苦しみをこう表現している。

「いても立ってもと云うのは喩えだが、そのいても立ってもを、実際に経験したのはこの時である」

 結局、その夜は一睡もできなかった。翌朝、宿主の老婆に抗議をすると「なんだ、そんなことか」という表情でスプレー缶を棚から出して、部屋に噴射した。腹立たしかったがシットウェでは、外国人向けのホテルは少なくとも一泊20000チャットと3倍近く値段がするので、プリンスホテルを離れることはできなかった。

 シットウェの郊外に国内避難民(IDP)キャンプが存在することは報道で知っていたが肝心の場所が分からなかった。私と山本くん(彼については「第7回 偶然の出会いが旅を」を参照)はIDPキャンプについて住民に尋ね歩くが、誰に聞いても「知らないよ」と一蹴される。携帯ショップで女性店員に「ロヒンギャの住むキャンプはどこですか?」と聞くと「ロヒンギャと言わないで」と色をなして抗議された。※1

 何も情報を得られない日が続き、山本くんはヤンゴンに戻ってしまった。その後も聞き取りを続けていると、IDPキャンプはシットウェの北外れにあることが判明した。自転車を1日3000チャット(240円)でレンタルして、住民に書いてもらった地図を片手にIDPキャンプに向かった。

立ち入りを制限する旨が書かれた看板
立ち入りを制限する旨が書かれた看板

 シットウェの街中からおよそ4キロ北上したところにキャンプの入り口があった。そこには警察のポストと立ち入り禁止の看板が立っていて、警官が人や乗用車の出入りを管理していた。警官が右側に立っていたので、キャンプに入るトラックの影に隠れて左側から通過した。しばらくして振り返っても気づかれた気色はなかった。

 IDPキャンプは荒れ地のようだった。コンクリートの道は舗装が荒く、砂ぼこりが向かい風にのって強烈に打ち付けてくる。鼻孔や眼球に砂が入り、首筋をザラリとした風が撫でていく。

 道は土手のように小高くなっていて、その道に沿ってロヒンギャの暮らす村があった。ロヒンギャの子どもが「マネマネ」と掌を突き出して追いかけてきた。「ノー」と言っても自転車に並走して諦めない。赤い半ズボン、雑巾色の肩口が破れたTシャツ。鼻水を垂らした少年が不憫に思えたが、金銭を与えることは気が引けた。500mほど並走した後、少年は足を止めた。

 東西に伸びる道に平行して電車の線路があった。数十分に一度、列車が横揺れしながら、のろりとやってくる。赤色とクリーム色のボディに不思議な懐かしさを感じてシャッターを切った。帰国してから電車に詳しい友人に聞くと、国鉄(現JR)が製造した「キハ62」という車両で、日本ではもう走っていないという。

 大半のロヒンギャの住居は竹で編まれ、天井に藁をふいていた。村で話を聞くと、住人の職業はたいてい農家か漁師だと言う。子どもの割合も高かった。ある欧州系NGOから入手した資料によると、そのNGOが管理する地域の子どもの割合は50%を超えていた。一方で老人の割合は5%以下だった。(団体を特定されるので具体的数字までは書けない)

 次回はIDPキャンプに住むロヒンギャの生活を、NGOやロヒンギャへのインタビューから見ていく。そして「2012年に何が発生したのか?」を1人の青年の体験から考えていきたい。(鶴)

連載ページトップへ

 

 

※1 「ロヒンギャ」という用語は自称であり、ミャンマー人仏教徒は認めていない。ミャンマー人仏教徒はロヒンギャを「ベンガルから来た人」という意味でベンガリーと形容する。(第3回 「ロヒンギャの4つの層」) 一方でロヒンギャと呼ばれる人々の誰もが「自分たちはロヒンギャという民族である」と考えているわけではない。アイデンティティをイスラーム信仰に求める人もいる。