【連載】ロヒンギャへの道 第15回 「キャンプの中の生活ーシットウェからー」

あらすじ

「ミャンマーで何が発生しているのか。ロヒンギャ報道の向こう側にいきたい」

 その思いからバスに飛び乗り、2018年3月にラカイン州の州都・シットウェにやってきた。2012年に発生したラカイン族とロヒンギャとの衝突以後(第11回 真実を求めて)、10万人を超えるロヒンギャが郊外の国内避難民(Internally Displaced People)キャンプに追われ、街中では約4000人のロヒンギャが隔離されていた。

 

「第9回 収容所のある街から」―シットウェで発生していること

「第10回 柵の中の生活―シットウェから―」―街中で隔離されたロヒンギャの生活

「第11回 真実を求めて」―2012年に何が起こったのかの検証

 IDP(国内避難民)キャンプはシットウェの街中から、北におよそ4キロの所にあった。検問所があるキャンプの入り口は狭いが、入ると途方に暮れるくらいだだっ広い荒原であった。海風が吹きつけ、土壌は乾燥している。およそ農作には向かない痩せた土地に10万人を超えるロヒンギャが暮らしていた。

IDPキャンプ内ではゴミがあちこちに捨てられている。ゴミ、干し魚、ミルクティー、さまざまな生活の臭いが充満していた
IDPキャンプ内ではゴミがあちこちに捨てられている。ゴミ、干し魚、ミルクティー、さまざまな生活の臭いが充満していた

 生産性の乏しい土地に収容されるロヒンギャの生活は貧しい。感染病がはびこり、食糧状況も十分ではない。映像作家の久保田徹氏は「ライトアップロヒンギャ」の中で、マラリアや下痢が蔓延する現状や治療を受けられないガン患者の苦しみを描いている。

UFPFF(国際平和映像祭)2016を受賞した久保田さんの作品。IDPキャンプに暮らすロヒンギャの生活が描かれている。
NGO関係者によると、WFPなどが支給した物資が転売されて街中に流出しているという
NGO関係者によると、WFPなどが支給した物資が転売されて街中に流出しているという

 ロヒンギャの生活を支えているのは国際機関やNGOである。食糧は国際連合世界食糧計画(WFP)から支給される(主な支給物品は米や油)。ただ住民に話を聞くと、IDPキャンプに登録されていない地域に住むロヒンギャはWFPからの食糧支援を受けられないという。NGOは日用品や医薬品などを支給している

一口にIDPキャンプと言っても10個以上の地区に分かれていて、NGOはそれぞれの管区で支援を行っている。
一口にIDPキャンプと言っても10個以上の地区に分かれていて、NGOはそれぞれの管区で支援を行っている。

 欧州系NGOの職員であるラカイン族女性によると、キャンプ内には病院があるが、夜になると閉鎖される。もし夜間に様態が悪化すると、IRC(赤十字国際委員会)の助けで街中の病院に行くという。

 IDPキャンプを東西に貫く道を進むと、10メートルほどの幅の川があった。乾季だったので水量はそれほど無かったが、人々はくるぶしを濡らして川を渡る。

「雨季になると増水して大変だろう」と思っていたが、翌年に再訪した際には立派な石橋が完成していた。その川を渡ると、市場があった。

 市場はおよそ1キロに渡っていて、飲食店や衣服店が立ち並んでいた。市場を散策していると、背中に怒号を浴びせられた。驚いて振り返ると、怒気を帯びた男の顔があった。困惑している私の顔を見て、男が言った。「Sorry,you are foreigner」

おそらく肌の色が薄い私をラカイン族だと誤認して「出て行け」と言ったのであろう。

 再び市場を歩いていると、40歳くらいの男性が商店の軒先から私を手招きした。

「ジャーナリストか?」

 そう英語で尋ねられた。

「いいや、日本の大学生だよ」と返すと、「腹が減っているだろう。座れよ」と歓待してくれた。男性は商店の主人で、商品棚からソーダ水やパン菓子を取り出して勧めてくれた。

―なぜこんなにもてなしてくれるのだろう―

 怪訝に思っていると、男性はとうとうと話し始めた。政府によって弾圧され、苦しい生活を強いられていること。2012年の衝突で死んだ人のこと。

「昔は仏教徒もムスリムも一緒に暮らしていたんだ。なぜ、僕たちはいがみ合わなければならない」

彼は「Why」を繰り返した。

「日本人に僕たちの現状を伝えてくれ。日本政府がミャンマー政府にプレッシャーをかけてほしい」

「それは理想だけれど……」

―ただの学生にそんな力があるのか―

目の前の男性が熱心に語れば語るほど、私は自分の存在の矮小さを感じた。

キャンプ内で子どもたちと一緒にサッカーをした。ボールはかなりボロくて空気も抜けていた。蹴ってもフニャリとする。それでも子どもは真剣にボールを追いかける。
キャンプ内で子どもたちと一緒にサッカーをした。ボールはかなりボロくて空気も抜けていた。蹴ってもフニャリとする。それでも子どもは真剣にボールを追いかける。

 

 店を出てさらにIDPキャンプへの奥地へと進む。果てしなくキャンプは続いていた。土埃の立つグラウンドでは子どもたちがサッカーボールを追いかけていた。夕暮れが迫っている。私は街に帰らなければならなかった。  (鶴)