【連載】ロヒンギャへの道 第7回 「偶然の出会いが旅を」

あらすじ

 ロヒンギャ問題の現場を自分の目で目撃するためにミャンマー西部・ラカイン州にあるミャウーという町にやってきた。パゴダの立ち並ぶ美しい町の郊外にロヒンギャの暮らす村があった。

第2回「ロヒンギャとの出会い」

第6回「第三者として思うこと」

 ミャンマー西部の都市・ミャウー近郊にあるロヒンギャの村で偶然にして2人の日本人との出会いがあった。そして、これらの邂逅がロヒンギャをめぐる旅に深く作用することになる。

  子どもたちに付き添われながら村内を撮影しつつ歩いている時だった。体躯の良い白シャツの男性に呼び止められた。「こっちに来いよ」と手招きをしている。私がためらっていると男性が相好を崩して「大丈夫だよ」と手を前に投げ出した。「人懐っこく笑うのだな」と思って男性の自宅に招き入れられた。家の2階の食卓で待たされていると、男性がどこかに電話をかけている。

「ああしまったな。警察に通報されているのだろうか」

 逃げる機会を探っているうちに男性が戻ってきて警戒している私にスマホを手渡した。耳元に当ててみると「こんにちは」と日本語が聞こえる。挨拶を返すが、受話器の先にいる相手も突然、電話が来たことに当惑していて「えっと、どなたですか?」と語尾にクエスチョンマークが浮かんでいる。

「はい。僕も状況がよく飲み込めていないのですが突然、スマホを渡されて」

「なるほど。ミャンマーから電話が掛かってきて驚きました」

 そこから互いの自己紹介が始まった。電話の向こうの男性は新畑克也さんという写真家で年に何度もミャンマーに通っているという。新畑さんは2010年に初めてミャンマーを訪れた時、経済制裁で鎖国のような状態だったミャンマーに「初めてなのにどこか懐かしい」という感情を覚えた。その旅をきっかけに何度も通う中で、急激に民主化が進み変革期にあるミャンマーの姿や民衆の熱狂に魅了された。

 新畑さんがミャンマーに魅了された頃から国際社会で大きな問題になりつつあったのがロヒンギャをめぐる人権侵害だった。ニュース映像に映っていたのは微笑みが素敵なミャンマー人の姿ではなく、手製の竹やりを握りしめ、燃やされた家の前で怒りに震える女性の姿であった。2015年にラカイン州の古都ミャウーを訪れた折、町から10キロほど離れた郊外にムスリムの村を見つけロヒンギャの人々との交流が始まった。その後はロヒンギャについて広く知ってもらうためにロヒンギャに関する写真展を開催するなどしている。私がこの村を訪れたのも新畑さんの書いた記事がきっかけだった。

新畑さんはこの村を何度も訪れているので村人とも顔見知りだ。

「日本人が来たからとりあえず私に電話をしてきたのでしょう」と笑っていた。

「村の状況はどうですか?」

「特に問題はなく行動できています。警察官が1人いますが何も言ってきません」

「安心しました。最後に来た時は2017年の衝突※の直後だったので緊張感があったのですが。くれぐれも気を付けてくださいね」

新畑さんとはしばらくの間はSNSを通じての交流だったが、のちにロヒンギャ問題の先達としてお世話になる。(新畑さんのHP

白シャツの男性が豪勢な食事でもてなしてくれた
白シャツの男性が豪勢な食事でもてなしてくれた

 新畑さんに電話を繋いでくれた白シャツの男性の兄弟は日本に難民として亡命していた。男性が日本に住む兄弟に電話をかけたので話をした。10年ほどの間、申請を続けているが難民とは認められず「仮放免」という法的に弱い立場で日本に滞在しているという。

 帰国後、話を聞くために何度かメッセージを送ったがついぞ返信は帰ってこなかった。この男性をよく知る人は「長年の不安定な生活で精神的に疲れてしまって、最近は連絡もあまりつかない。心配だ」と表情を曇らせる。日本における難民問題も後々、取材したいと考えている。

 

 

 

 もう1人との出会いは村でガイドのムンムンさんと一緒にチャイを飲んでいる時だった。黒の帽子と同じ色のタンクトップ、緑のハーフパンツで頬に髭を生やした長身の男性が入ってきてムンムンさんと英語で話し始めた。私の方にも向いて「Hello. Where are you from?」と尋ねるので「Japan」と答えると「ほんとに」という返事が日本語で返ってきた。これが山本竜馬くんとの出会いだった。彼は早稲田大で民俗学などを勉強していて年は1つ上だった。私の来る1日前からこの村に来ていた。

山本くんと現地の少年
山本くんと現地の少年

「ロヒンギャの生活を撮るために来ているのだよ」とニコンのD5600という一眼レフと古いフィルムカメラでかわるがわるシャッターを切りながら話した。

「フィルムカメラやとすぐに写真を確認できひんし、不便やないですか?」と尋ねると、山本くんは「それが良いのだよ」と目を細めた。

 その晩、ミャウーに戻ってから山本くんとレストランで食事をした。ロヒンギャ問題に関する2人の意見は少し異なっていた。私はこの問題の人権的な側面に目を向ける一方で山本くんは未来に向けた現実的な解決、民族間での融和を考えていた。話に熱中するほど卓上の瓶ビールの数は増えていき、乾杯を重ねていった。気がつくと客は私たちだけになり、店主の老婆も片づけの準備を始めていた。山本くんが高校球児だった時の守備位置を当てる賭けに勝ったので(答えは投手兼外野手)お代は全て払ってくれた。その夜は話が尽きなかった。ロヒンギャ問題、日本の政治、野球(2人とも高校まで野球をしていた)、ミャンマーの文化、これまでの旅の話……

 

 店を出て川辺のガードレールにもたれ掛かって話を続けた。

「ロヒンギャの村の子どもはどんな人生を歩むのでしょうか?」

「どうなのだろう。ただ苦しい境遇でも子どもは目の輝きを失っていない。それは強く感じたね」と山本くんはつぶやいた。それでも「子どもたちに明るい未来はあるのだろうか?」という疑問がおそらく2人の頭に浮かんで、しばらく沈黙があった。

緑の灯りが見えた。

 「あ、蛍が飛んでる」と私が指さすと「ゴミだよ。こんなに汚い河に蛍がいるわけないじゃん」と山本くんが苦笑した。「蛍の光」ではないけれど、何となくそれで帰るコトにした。翌日の早朝、山本くんはラカイン州の州都・シットウェに船で向かった。

「明後日には行きますから、また会いましょう。」

そう彼に別れを告げた。(鶴)

 

連載トップページへ

第8回 「ロヒンギャと近隣住民との関わり」